ムスメと私と嵐とV6(ブイロク)

実は、ジャニヲタになったのは母親になってからだ。
ほら、大人になってから罹るはしかは重いというし……?

野球選手や芸人を真剣に追いかけていた痛い青春時代を過ごし、「面白くないもの」には見向きもしなかった自分だったが、ムスコを産んで入院していたときに、夜中に有線で聴いた中居くんのラジオにびっくりした。

 

最近のジャニーズってこんな面白いの???

以来SMAPのCDを買い、お茶の間で彼らを追うライトなジャニライフが始まった。
あれよあれよという間に、SMAPは売れていき、以後出てくるジャニタレはみんなバラエティをそつなくこなす能力を持っていた。なにこれ?面白い、ジャニーズってみんな面白いじゃん?

ということに気づいた頃、実家でたまたま見ていた「はなまるマーケット」に番宣でぐっさん、といっても達也じゃなくて智充が出ていた。

なんかこのドラマ面白そうじゃん、野球だし(ヴァカなのか?十四松なのか?)

ということで家に帰って観てみたドラマが今思えば湿地だったのだろうか、その先に沼が待っていた。

これが私と木更津キャッツアイの出会いであった。

 

むちゃくちゃハマって、以後クドカンのドラマを追うようになったのはもちろん、当時幼稚園児だったムスメが、いや、ふりかえって自分でも「幼稚園児があれ見てなにが面白かったんだろうね?」とは言っているが、ムスメも一緒に木更津にハマった。

オンタイムで観ていた頃、私は、残念なぶっさん派だったが、ムスメはある意味もっと残念なバンビ派だった。

そしてそのまま私はV6、ムスメは嵐の沼にハマって行った。

「胸騒ぎを頼むよ」の頃生まれたムスメ、齢5歳の春だった……

だが、本格的な沼に足をとられたは、それから9年後?ライブデビューである。
中3の初秋、国立に当選するのだが、その日は、学校代表に選んでもらった市の英語スピーチコンテストが開催される日だ。
ムスメは素行は悪かったが成績はよかった。何より弁が立った。選ばれるなら弁論大会だと踏んでいたのだが、理系のムスメに廻ってきたのはスピコンだった。それをムスメはこう言って断ったそうだ。

「勉強より大切なことが、私にはあります」

ムスメの替わりに出場することになった子のお母さんからそう聞いた。何格好つけているんだwww

その頃には

「この学校から嵐のコンサートに行くひとがいるらしい」

と下級生にまで噂になっており(嵐本人でもチケットが入手できないといわれていた頃だ)担任は
「(本名)は嵐命(表現が古い同世代である)だからな、いいのいいの、行かせてやってください」

と笑っていたが、英語の先生は最後までぶちぶち言っていたらしい。(ごめんなさい)

ちなみにこの日は、学年PTAの親子レクもあり、本部役員を長いことやっていた私は初めてこの種の行事を休んだ。平謝りの私に「ムスコくんのときは、本人風邪ひいても親だけ来てたのにね」とママ友パパ友も大笑いだったが。

 

ってよく覚えてるな、こんなこと。

 

初めて見た(多分わたしにとっては最後だろうが)嵐はキラキラしていた。すごいオーラを放っていた。目がつぶれそうにまぶしかった。
三時間はあっという間に過ぎて、魔法が解けた後待っていたのはグッズ販売の尋常ではない列と、秩父宮ラグビーを見ていたダンナだった。ダンナはおぎやはぎの矢作にバナナマン日村成分を加えた、ありていにいうと不細工だが、この日ほどダンナが不細工に見えた日はなかった。(ダンナのくだりどうでもいい)

 

初参戦の日こそ私もついていったのだが、その後ムスメはネットで知り合った嵐友と行動を共にすることになる。

むしろ、ついてきてもらうことになったのは私のほうで、V6のコンサートには必ず親子で参戦している。ちなみに、ムスメが出すのは実家からの交通費のみで、チケットもグッズも食事も私持ち。ムスメのV友はそれを聞いてショックを受けていたが、そうまでしてもまったく惜しくないほど、ムスメと一緒のジャニ活は楽しい。(あ、ムスメはVも大好きで、森田担である)

 

今年もそうだった。
横アリ(代々木はムスメの学祭とかぶっていたので泣く泣く断念)のアニバコンに(恥ずかしげもなくおそろいの担当色のボディバッグを身につけてwww)母娘参戦し、点呼?のときに力づよく10代をアピールし、おかだとハイタッチ、剛つんにそっと触れテンションMAX。

 

そして、この二日後と三日後にムスメはブラスト宮城に参戦し、最終の新幹線にギリギリ飛び乗って帰ってきた。

「トリプルアンコあるかと思ってねばって外でたらバス大渋滞」

だったそうなのだが、乗り遅れたら……と思い待っている身は気が気ではない。

なんとか帰ってきたものの、二度と繰り返さないでほしいという思いをこめて、後日学校へ送る車の中で

「間に合ったからいいけど、もし間に合わなければ、今度のツアー行くな、って言ったかもよ?」

と言ったら、意外な、そりゃもう意外な言葉が返ってきた。

 

「行かないよ」

 

えっ?

 

「行かない。もう宮城最後に嵐降りるから!!」

 

あっけにとられている私を置いて、ムスメは「いってきます!」と校門の中へ消えていった。

 

 

……………

 

 

あとから聞いたら、ずっと考えていたのだという。

考えて、考えて、考えて

「もう、十分。卒業」

という結論を出したらしい。

 

今はもう私もふっきれて、ジャニストに降りたムスメをなまあたたかい目で見ているけれども、最初は

「なんとか考え直せないの?」

と、ムスメの担降りという事象に対して相応しいのか、それ?と思うような硬い言葉をかけていたらしい。夢中だったので覚えてないけど(笑)

 

長々と、どうでもいいことを書き綴ってしまったが、書くことによっていろいろ整理したかったので、スッキリしている。読まされた方は災難だったと思うけれど……(本当にすみませんっっ!!)

 

どうでもいいことついでに。

 

アニバコンの夜、夜中、ムスメの枕元にGが出たらしい。ムスメはそれをビニール袋一枚で退治したと自慢げに言っていた。それを聞いた私の母の一言が、すべてを台無しにした。

 

「岡田触った手でゴキブリ触ったんだ」

 

私も、そしてムスメも間違いなくこの人の血を引いていると思った出来事だった。

お粗末!